帽子の歴史



        人類が裸で野山を駆けていた頃は、
        もちろん無帽だったでしょうが、
        帽子の起源は古く、すでに原始時代には、
        帽子の類似品やその前身と見られる
        被り物があったと言われています。

           紀元前4千年頃にエジプトでは、王が王冠をかぶり、
           庶民が頭巾をかぶるようになっていたことは、
           遺跡からも知ることが出来ます。

                  また、中国の古書にも王冠や被り物が見られます。


         しかし、それらの帽子は階級の象徴であったり、
         防暑・防寒・防塵または戦闘防御用として
         頭を保護するために用いられていたようです。

     その後、文化の発展に伴なって
     装飾の役目を兼ねるようになり、
     シルエットもいろいろと変化してきました。

              日本においても古くから
              烏帽子(えぼし)や頭巾が用いられていましたが、
              本格的に我が国で帽子がかぶられるようになったのは
              明治になってからで、欧米の文化の導入に伴なう
              洋装化と共に普及してきました。

 明治以前
 

 明治2年・明治4年
   断髪令が発令された



 明治3年 
   軍服・軍帽が制定された

 明治5年 
   勅奏任官制が制定されシルク
   ハット、山高帽が礼帽として指
   定された

 明治6年
   巡査の制度ができ、制服制帽
   が定められた

 作業用として笠等を使用していた。
 江戸時代後期には、漂流し帰朝した漁民が外国の帽子を持ち込んだ。

 ザンギリ頭を飾るのに当時在日外国人が使用していた帽子が用いられ
 た。
 (一部では、髷を隠すのに帽子を使用する者もあったとのこと)
 

 陸軍----フランス式(後ドイツ式)
      
 海軍----イギリス式
    

 帽子が大流行し、洋帽子の製造が始まった。

<閑話休題>

 国定教科書 尋常小学読本巻九(明治四十一年一月二十一日発行)

     第十五課 かぶりもの

  路行く人のかぶりもの、   所変ればさまざまに
  中折・鳥打・山高や、    変わるよそほひ面白や。
  シルクハットと類多し。   古風ゆかしき我が国の
  星の形を打ちたるは     かんむり・烏帽子今は唯
  陸軍兵の帽子にて、     祭の服に残りたり。
  艦の名あるは水兵帽。    昔の風をそのまゝに、
  学生・生徒の帽子にも    田植・草取・取入れに
  皆学校の徽章あり。     農夫の辛苦共にする
  夏の経木や麦わらは     すげ笠こそはたふとけれ。
  見るにもいとゞ軽げなり。  車夫のかぶるは形より
  西洋婦人のボンネット    まんじゅう笠の名もをかし。
  花をかざりてうるはしく、  づきんにおこそ・大黒と
  支那の帽子はいたゞきに、  其の名其の類亦多し。
  結ぶ赤だまかはいらし。   かぶりものにはあらねども、
   赤き帽子のトルコ人、    手ぬぐひ三尺引きしぼり、
  長き白布くるくると     頭に結ぶはち巻きは
  頭に巻けるインド人、    次第々々にすたれ行く。 
                                 <原文縦書き>


  帽子のいろいろ

<紳士>

   シルクハット



   中折  



   パナマ 



   ヘルメット


 明治10年東京大学開校
 明治19年東京大学製帽制定
 明治19年中学校令発令
 明治22年澁澤栄一日本制帽設立


  制帽が導入され次第に学生帽が広まった。
  フェルト帽子の製造を始めた。


愛知の帽子
       <製帽>

       明治8年ごろ



       <麦稈帽子製造>

       明治 4年
       明治16年
       明治17年
       明治25年

       明治27年




       明治28年


 熊澤又助、飯田萬次郎が共同で官制帽を作り始めた。
 後藤與四兵衛が軍帽、トルコ帽、防寒帽を作り始めた。




 東京の島田重郎兵衛により日本最初の麦稈帽子が作られた。
 愛知県に普及。熱田を中心に麦稈帽子の製造が始まった。
 経木帽子の生産始まる。
 愛知県麦稈真田同業組合設立
    粗製乱造の結果輸出がストップした。
 パナマ帽流行 
 この頃はやった帽子 山高、中折、鳥打、学生帽、大黒型、
               鍔狭(カンカン帽)、鍔大(麦稈帽子)、
               パナマ型、猪口型、レース型
                      「衣服と流行」より
 愛知県麦稈真田紐営業組合設立
     業界の指導監督を行うため設立された。
     ドイツよりカン縫いミシンが導入され機械化が始まった。


<婦人>

   キャペリン



    トーク 



   ボンネット
<閑話休題>

 
 馬具屋が帽子の元祖

   布地の帽子の製造は、軍帽、制帽が始まりであって、生地を裁断する
  のに皮鋤庖丁を使っていますが、それは馬具屋から分離されて、後に
  独立した証拠だとの説があります。
   徳川時代の馬具屋は、維新以後ほとんど衰微していたが、軍帽には
  庇、バンド、辷りなどの皮革が用いられており、馬具屋の用いた道具が
  帽子を作るのに都合がよいというところから、馬具と同時に注文を受け、
  馬具屋の手によって帽子が作り始められて、次第に分離して帽子屋が
  独立したということで、その職人達が浅草に多くいたので、それがうけ
  つがれて、目下浅草で東京地方の帽子生産の六割をしめるまでになっ
  たとのことであります。
                                (「ニューハット」より)

   名古屋に於いても、最初は丸庖丁を使っていましたが、現在は殆んど
  皮鋤庖丁を使っております。


 
 

明治45年 愛友写真倶楽部の皆さん

 キャスケット

      


 
        

  チロル  ウエスタン   ポーク 


      <布帛帽子製造>

       明治32年
       明治34年
       明治35年
 
 

 明治40年ごろ






 明治44年
 中国に革命(辛亥革命)が起こり、
 清朝が滅び中華民国が成立した。



 三浦栄太郎が子供帽子の製造を始めた。
 柴田松太郎が学生帽子の製造を始めた。
 柴田覚次郎が一般夏冬帽子の製造を始めた。
 佐藤健が鳥打帽子の製造を始めた。


 洋服を着ている人はまだ少なかったが、帽子を冠る人は増えていた。
 大人物の第一位は鳥打帽子であった。
 この頃「よく冠られた帽子には
   中折帽子  大甲パナマ  サシ帽子  学帽  鳥打帽子 
   麦稈帽子  ネル大黒帽子
 がある。

 
 新国家では断髪が行われ、日本の帽子の輸出が急増した。


 <ハンチング>
 

   八 方



   ハンチング



   プロムナード



   アイビー

     
<閑話休題>

  明治末期の帽子屋さん

   私は明治四十四年十四オで、西区玉屋町の西洋小間物商「菱富洋品
  店」(坂富次郎氏)に小僧に入りました。
   入店以来十五年間勤めましたが、菱富の創業については、私が入った
  ときには既に二十年か二十五年位いは経っており、それから推定して明
  治二十年から二十五年頃と思います。
   私が入店した当時から、取扱い商品は殆んど舶来品ばかりで、横浜の
  商館「近文」から仕入れておりました。
   いろいろの小間物を扱っておりましたが、その中に帽子があり、シルク
  ハット、中山、中折、ハンチングなどであり、麦稈一文字などは国産のも
  のもありました。
   シルクハットは一個十三円位から十八円位しておりました。天皇陛下や
  皇族方がご来名の時のお出迎えには、必ずシルクハットを冠って出なけ
  ればならず、当時官庁納めを殆んど独占しておりましたので、本当によく
  売れたものでした。シルクハットは帽子そのものも高価なものでしたが、
  それを保管する革製のケースが帽子よりも高く、大変印象に残っており
  ます。
   中山帽は結婚式の月下氷人(お仲人)やらお祭のときに冠られて、こ
  れ又よく売れたものです。
   本当に帽子が普及し出したのは、軍隊が次々と拡充されてからで、若
  者が一人前になったといって中折帽子をかぶって入隊し、兵役二年のの
  ち軍隊から除隊すると、又帰り路でみんな新品の中折帽子を買って帰っ
  ていったものです。
                          (杉山政春氏談・明治三十年生)


 大正2年 中国の革命終息
 大正3年 第1次世界大戦勃発

 大正9年 第1次世界大戦終結 
 大正10年




 大正12年9月1日 関東大震災
  帽子価格大暴落
  帽子製造再び躍進 

  帽子の輸出減退
  カンカン帽が名古屋の目玉商品となった。

  大正の時代は波乱にとんだ帽子業界であったが、帽子の需要は
  着実に伸び、男子の冠帽率は90〜95%に達していた。

  被災を受けた帽子職人が多数名古屋に移住し、名古屋の 布帛
  帽子の製造が多種になり、盛んになった。




 昭和3年
  ブラザーミシン第1号機「昭三式
  カン縫いミシン」誕生

 昭和7年 満州国独立








 昭和12年
  名古屋汎太平洋平和博覧会開催
         
 昭和13年

 昭和15年

 昭和16年
  太平洋戦争突入
  帽子の価格統制令が発令された

  国産の安価で丈夫なミシンの誕生で帽子の製造がますます盛んに
  なった。

  輸出や通信販売が盛んに行われるようになった。

    昭和13年の主な輸出先と金額(名古屋市勧業要覧より)
       満州    58,814円
       朝鮮    35,534円
       樺太    32,000円
       台湾    24,895円
       アフリカ   3,050円


  帽子業界から多数出品があった。

  戦闘帽が主体となってきた。

  街中では戦闘帽、国民帽、鉄兜、防空頭巾が主体となった。
  生活物資が不足して物価が急騰した。
 
 
 小売値
  シルクハット  1個  40円
  ファー中折   1個  20円
  本パナマ    1個  20円
  麦稈帽子    1個   4円60銭
  鳥打帽子    1個   6円50銭
  大学生用帽子 1個   8円50銭
  小学生用帽子 1個   3円       など




 昭和20年 終戦


 昭和23年 帽子の物品税が緩和

 昭和24年 物価高騰から大暴落
 
  激しい食糧難、物資窮乏、インフレーション
  紙布、桑の皮、再生ガラ紡を使って帽子生産

  子供帽子、中折帽子、パナマ帽が盛んに出回った。

  物価高騰からノーハット現象が起きる。
  

<閑話休題>

 東京都内の電車内の冠帽率 (100人に対して)
 S20/7月  70人 戦闘帽 鉄兜 防空頭巾 登山帽 他
 S21/1月  45人 戦闘帽 登山帽 他
 S21/7月  25人 戦闘帽 登山帽 他
 S22/1月  20人 中折帽 登山帽 戦闘帽 スキー帽 他
 S22/7月  15人 パナマ 登山帽 紙布ヤング 他
 S23/1月  10人 スキー帽 中折帽 学生帽 登山帽 他
 S23/7月   9人 紙布ヤング パナマ 登山帽 他
 S24/1月  11人 スキー帽 中折帽 鳥打帽 登山帽 他
 S24/7月  10人 パナマ 登山帽 鳥打帽 カンカン帽 他
 S25/1月  15人 中折帽 スキー帽 登山帽 鳥打帽 他
 S25/7月  25人 パナマ ミルキー 登山帽 鳥打帽 他
 S25/12月 30人 中折帽 スキー帽 登山帽 鳥打帽 ミルキー他

 <防寒帽子>

     ザイラー 


    ワッチ 


 防寒帽 



 昭和24年 全国で帽子の宣伝
        活動を展開













 昭和28年 「君の名は」映画化


 昭和29年 マナスル登山隊出発











 昭和31年 紺メトロ帽が流行

 昭和33年 夏学帽売出し


 昭和34年 皇太子御成婚


         伊勢湾台風上陸

 昭和35年 「国民安全の日」制定


 昭和39年 東京オリンピック開催 


 昭和41年 チャッピーベレー発売
         ミニスカート登場




 昭和45年 大阪万博開催



 昭和48年 中日球団中日マーク
         の意匠権設定
        

  名古屋では帽子祭の行事に、東山動物園の象に帽子を冠らせる
  催しを行った。

   帽子を冠った2頭の象   


  主人公真知子の冠っていた「真知子帽」が爆発的に流行した。
  婦人帽子の売れ行きが伸びてきた。

  登山隊が冠った帽子を「マナスル帽」と名づけて売出し、売上の
  一部を登山基金にした。
  しかし、マナスル登山は現地の人たちの妨害を受け、やむなく
  ヒマール登山に変更になった。帽子も「ヒマラヤ帽」と名前を変更
  し引続き登山に協力をした。

      

  紺メトロの流行により女性の冠帽率ご向上した。

  学生の冠帽率が低下してきたため夏用の学生帽を作って売出し
  たが売れ行きはよくなかった。

  美智子妃殿下の帽子姿がテレビで放映され、婦人帽の売れ行き
  が急激に伸びてきた。

  帽子業界の被災も甚大であった。

  黄色い帽子が登場し全国的に通学帽子として取り上げられるよう
  になった。

  キャスケット型帽子が登場し流行した。
  レジャー用帽子が伸び、フィッシング帽子が出始めた。

        チャッピーベレー

 

  ウエスタンハット、ピーチハット、キャップ、チューリップ等の帽子が
  よく売れた。
  

  名古屋帽子協同組合が中日球団と中日マーク取扱契約を結んだ。

           



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